六助さんの自己啓発 ☆ 外伝メモ2

マインドコントロールって何?

2004年1月


■ マインドコントロールだから悪いの?


そんなことされたら誰だって嫌に決まってます。コントロールしないでください。やめてください。けっこうです。でも。

「マインドコントロール」ってなに?

という疑問が私の頭から離れないのです。

いろんな本やサイトを見せていただきましたけれど、いまだに私は「マインドコントロール」ってなんなんだかわかっていません。「洗脳」もです。
いろんな定義を目にするのですけれど、定義によっては銭亀さんが言っていたとおり、ふつうの企業までマインドコントロール団体になってしまうようです。社員を一定の価値観などに染め上げようとするベクトルが働く、という意味です。現実に、限りなくそんな感じの企業さんもあるみたいですけど。
学校や教育も、集落や国家ですら洗脳のシステムだとおっしゃる方もいらっしゃいます。そう言われたらそんな気もします。ますます混乱する私です。(学校の話はまた次回以降に書けると思います)

思うのですけれど、「マインドコントロール」っていう言葉だけが一人歩きしていないでしょうか。用語の定義はあいまいなまま不気味感や恐怖感だけが蔓延していないでしょうか。しかもそこには一部のカルト団体のイメージがひっついていないでしょうか。

「あれはマインドコントロールだ」と言われると、盲目的にこわいと私は思ってしまいます。でも、それって思考停止じゃないかなと反省もしたりするのです。
思考停止してしまうと真の問題点をみつけられないと思います。問題の本質をつきとめられないと思うのです。逆に言うと、真の恐ろしさを見過ごしてしまうことにならないだろうか、と思ったり。

そして、それ以上に反省しなくちゃいけないと思うのは、自分のなかの差別意識のようなものです。「あいつはマインドコントロールされている」と言われただけで、その人を敬遠したくなります。だって正直こわいんですもの、ごめんなさい。実際に六助さんから教えてもらった人(勧誘活動にはげんでいる人)たちがいて、私は距離を置くようにしていますし。

これって、私のなかの差別意識の萌芽なのかも。と、ちょっと不安に思ったりもしています。


(あいまいなまま、つづく)








■ 用語と差別意識


自己啓発セミナーとはぜんぜん関係ない深みにはまってるのでは? とお思いかも知れませんけれど、もう少しだけこのまま続けさせてください。

前回は「イメージだけが先行して使われているあいまいな言葉」について書きました。それを自覚しておかないと、へたしたら問題の本質を見失うばかりか差別意識にもつながりかねないと思うのです。

一回目に「精神障害」のことを書きました。「障害の種類にもよりますが、それを自己実現への過程として捉える考え方もあるみたいです」と書きました。
なぜそういうことを書いたかというと、「障害=悪い」という私のなかの暗黙の前提を許せなかったからです。そういうイメージを許すことが、障害を背負われている方に対する(私の)差別意識を助長する可能性があると思ったのです。

この「精神障害」という言葉も、「マインドコントロール」と同じようにあいまいなまま使われているような気がしてなりません。一般にはイメージだけが先行していると思うのです。

私のような素人が「精神障害」と言うとき、そのなかには外科手術の対象となるべきもの、薬物治療の対象となるべきもの、カウンセリングの対象となるべきもの、あるいは単なる「わがまま」のようなものなど、いろんなものを知識も自覚もなくごっちゃにしているような気がします。これらのなかで、「自己実現への過程として捉える」ことができるのは、カウンセリングの対象となるべきものが中心となると思います。
いっぽう、たとえば機質的な障害などの場合は「自己実現への過程」として捉えるのは難しいと思います。現代医学では不治とされる障害もあります。これらも「自己実現への過程」とは言えないと思います。

このように「精神障害」とひとことで言ってもいろんなケースがあるということを知っておかないと、たとえば「世間では精神障害とか言うけど、それって単なるわがままのことじゃん」と馬鹿にしたり、逆に「あいつは精神障害だから一生あのまんまだよ」と見放したり、つまりはいろんな種類の蔑視につながりかねないと思うのです。

実際、日本の精神医療の問題点とかをうかがっていると、障害を背負われている方が歴史的にどれほどいわれのない差別に苦しめられてきたか、よくわかります。いえ、今でも苦しめられている方は確実にいらっしゃるのですけれど。


(そろそろ展開します)







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